こんにちは。
4月に入り、卒業・入学・進級と新たな生活の始まりですね。
墨田陸上クラブでも新4年生は高学年組に合流し、新たな環境での練習がスタートとなりました。
新5・6年生の子たちによる新4年生のサポートもあり、質も雰囲気も良い練習に取り組めていたと思います。低学年組は、上の子たちが抜けてしまいましたが、早くも新3年生が中心となり、高い集中力で練習ができていました。
中学生組も三宅コーチとともに技術熟達に向けて、より一層励んでいます。
大人ランニング組も三輪コーチとともに、スプリントドリルなど陸上競技のスキルを本格的に身につけつつ、桜を見ながらジョギングで体力向上・健康増進に勤しみました。
4月は、子どもも大人も新たな環境で生活を始めていく時期ですね。多くの人の場合、新たな環境を得る前に、〈決断〉という行為が行われるのではないでしょうか。
〈決断〉とは、今あるステージから次のステージへ移るためのゲートを潜る作業だと思います。これは、自分自身が〈決断〉の行為者でなければならず、どこまでいっても、他者が決断という行動を代替して行うことはできません。
人は決断を迫られた時、大いに悩みます。というのも、人生は不可逆的であるから、戻ることができないから悩むのでしょう。可逆的、リセットしてやり直しが効くのであれば、悩む必要は元よりないものです。既存の見えるリスクを抱えて生きるか、新たな見えないリスクを抱えて、新たな何かを得て生きるか、という葛藤が生じているのだと思います。だからこそ、決断後の世界をある程度鮮明にイメージする力を持つことは大事なのではないかと考えます。また、それは個人だけでなく、他者の協力を得ることも一つの手であると思います。
また、決断とは、アプリのアップデートに似た要素もある気がします。アップデートする度に機能向上しますが、必ずどこかに不具合が出ます。だとすれば、またアップデートすれば良いわけで。一回のアップデートで完璧な状態になるはずもありません。不具合を恐れてアップデートをしない決断をした時、向上はないのでしょうか。
また話は変わって、私たちが生きる今の世界は先人の決断によって在る世界だ、と捉えることもできます。例えば、源平合戦の一つ、「一ノ谷の戦い〜鵯越の逆落とし〜」があります。平家の陣営を攻め入る為に、安全に山を下り攻め入るか、背後を取る為に崖を下り攻め入るかという決断の場面です。馬に乗りながら崖を下り攻め入る行為は、大きなリスクを伴いますが、源義経はそのリスクを取り、戦いに勝つことができました。この決断は、天才による天才的な直感によるものだから到底一般人に真似することができないと思われがちですがそうではありません。義経は、崖を下る決断をする前に、野生の鹿が崖を下っていく光景を目の当たりにしたとか、何頭か馬だけを試しに下らせてみたとか、あらゆる情報を基に決断したのです。いわゆる、クリティカルシンキングというものでしょう。
決断は直感的のようですが、その直感を覗いてみると、深い思考の世界が広がっているのです。
その場に留まるか、新しい場所に行くか。詰まるところ、自身の決断が最良であったか分かるはずもありません。やるべきことは、決断した後の世界で、決断した行為を良かったと思えるような行動をしていくことかもしれないですね。
(執筆:宮道)
インスタグラムでRFFの日々の練習風景をアップしておりますので、
ぜひご覧ください。
RFFのHPはこちら。
#墨田陸上クラブ#墨田区走り方教室#葛飾区走り方教室#足立区走り方教室#荒川区走り方教室#かけっこ