こんにちは。
さて、新生活期間の4月も終わりが近づき、一息つけるゴールデンウィークの始まりですね。心身共に休息させて、5月も頑張りましょう。それでは4月末頃の墨田陸上クラブの様子をご覧ください。
高学年組は、バトンjogでウォーミングアップをしています。今年の墨田陸上クラブは、個人種目・リレー種目ともに多くの試合に出場していく予定です。両種目ともしっかり準備していきましょう。
4/23(土)の低学年組の練習は、アニマルウォークや連続立ち幅跳びなどの全身運動系を行った後、往復走でダッシュを多めに取り組みました。往復走は走る本数がかなり多くキツイ練習です。適宜、ダッシュとダッシュの合間に、「一旦、休んでからまた参加する!」「水分補給する!」といった自己判断がとても重要です。(もちろん、コーチ陣も休むことや水分補給を促します。)
大人から見たら、小さな自己決定行為かもしれませんが、この小さなところからしっかり自己決定をしていくことは、この先意味のあることだと思います。これは、自分自身をコントロールする力に繋がっていくものであると考えます。
さらに、少し発展的な話をすると、自身をコントロールするあまり、楽な道ばかりを選ぶと最大限の成長を得るのが難しくなってしまうと思います。できる範囲を自分自身と周囲の人(コーチ・友人・家族など)がしっかりと見極めて物事に取り組むことがスポーツの難しさであり、醍醐味であるとも考えます。互いを理解することも練習において大事なことなのかもしれません。
昨今、コーチ・監督・顧問といった指導者という立場に位置する人の問題行為が顕となっています。指導者の在り方について、今一度皆で考えていく必要があるように思えます。
まず、指導・指導者について、体罰を行って、技術等を教える行為は、指導と呼べるのでしょうか。体罰を織り交ぜて、ゴールに向かわせる行為は、導くといえるのでしょうか。あなたは、他者を殴って蹴って、ゴールに向かわせますか。そこまでして、ゴールに向かわせる行為は異常だと感じるのではないでしょうか。でも、全国制覇という目標であれば、それは許されるもの・目を瞑っていいものなのでしょうか。
一側面に過ぎませんが、問題とされる指導方法は、コーチ・監督・顧問自身が作り出した枠組みに無理やりはめこませ、枠組みに収まらない者を逸脱者とみなし、恐怖と暴力を利用し、枠組みに収めコントロールしていく行為であるような気がします。この行為をなぜ正当性を持った行為であると考えてしまうのか。それは、過去の功績だけを後ろ盾・大義とした教えで、新たな功績を産み出し、それを自身のおかげであると考え、より自身に対して狂信・盲信していくことが一つの要因になるではないでしょうか。
ちなみに、人の才能・性格・能力の成長や発現は、遺伝的要因と環境的要因が半々であるという研究結果があります。それを踏まえて考えると、功績や勝利というものは、全てがコーチ・監督・顧問のおかげと言えるでしょうか。環境的要因の中に、コーチ・監督・顧問はどのくらいの割合を占めるでしょうか。おそらく、よくても数パーセントではないでしょうか。
つまり、誰か一人のおかげで結果が出せるわけではないこと、暴力により生み出した結果は次世代へとそのまま継承されうるということを考えていく必要があるということが言いたいのです。
自身の過去の小義に囚われることなく、相手・個を見よ。わたしはわたしで、あなたはあなたである。
そして、終わり良ければ全て良し。思考停止・思考放棄して言うこと勿れ。
(執筆:宮道)
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