こんにちは。
1月18日(火)の墨田陸上クラブの練習をご覧ください!
舘野コーチコメント(本日、高学年担当)
「本日のテーマは〈動き続ける〉サーキットで自分のペースで追い込むことでした!また、練習している中で意識したポイントを他者に伝える機会を設け、自分を表現することも行いました!」
三宅コーチコメント(本日、低学年担当)
「本日は、座談会でもお話した〈規律〉を意識させ、火曜(一般開放日)だけど、ホームストレートで走る意味を伝え、緊張感を持って走ってもらいました!」
両コーチとも、子どもたちの成長の早さに驚きつつ、良い練習ができたと言っていました。
確かに、子どもたちの成長には驚かされます。クラブ入会時と比べたらもちろんですが、1週間会わないだけでも、成長したなと感じることが多々あります。断片的に見たら当たり前ですよね。ただ、人も歴史と同じように連続性であり、日々、徐々に成長しているのでしょうね。
話は変わって、歴史といえば、私は日本史が好きで、特に幕末が好きなんですよね。日本の為に多くの人たちが様々な考えのもと奔走していた、というところがとても好きです。
また、幕末といえば、旧幕府軍と新政府軍との戦いがメインであり、これを別の見方をすれば、〈刀を置くことができない者〉と〈日本の為に、未来の為に刀を置くことができた者〉という見方もできると思います。
未来の為に刀を置くことについては、合理性以外の面での葛藤が大きかったはずです。
学生や実業団選手などのトップ選手の中には、陸上競技で戦い抜きたいが、未来のことを考えると陸上競技で戦うこと・生き抜くことができない現実に葛藤し、嘆き、打ち拉がれた経験をした者も少なからずいると思います。スポーツ世界の現実の一面は、こうであるとも思います。
おそらく、本人にしか分かり得ぬ覚悟のもと、刀を置くのでしょう。
刀を置くという行為は、〈死と再生〉のようなものであると思います。〈社会的死〉を経ることで、人は新たな自己へと〈再生〉することができる。例えば、どこかの部族が成人になる際、バンジージャンプをするのも、〈死と再生〉の役割を担う儀礼であると思います。このような儀礼を経ることで、人はより良く生まれ変わるのです。〈死と再生〉〈儀礼〉は、本気で生きているからこそ、自然に発生するものであると思います。
諸個人、心的な面で、旧幕府軍VS新政府軍のような激動の時代を迎えると思います。様々な思考・思想に溢れ、激動の中、新たな時代を迎えることになるでしょう。
いつしか、刀を置かなければならない。
そして、刀によって育まれたものを活かして生きなければならない。
刀をただ振るっているだけの人生ではいけない。
刀を通して、自己を深め、理解していかなければならない。
時代に取り残されてはいけない。
ただ、その時が来るまでは、己の刀を鍛え続けることが必要なのではないでしょうか。
(執筆:宮道)
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